英国王室

9日間の女王レディー・ジェーン・グレイとザイオン・ハウスの物語

英国のロイヤルファミリーの歴史に登場する、「9日間の女王」と言われた女性を知っていますか?
名前は、レディー・ジューン・グレイ。

正式の歴代の国王・女王の系譜には彼女は出てこないジェーンの9日間はとても複雑な背景がありました。

死後300年ごろ、フランスの画家に描かれた有名な絵を見ながら、9日の女王と言われた背景と、運命の分かれ道となったザイオン・ハウスについてお話しします。

9日間の女王レディー・ジェーン・グレイ

「レディ・ジェーン・グレイの処刑」 ポール・ドラロッシュ 1833年 ナショナル・ギャラリー、ロンドン所蔵

大人の事情によって、悲劇のヒロインジェーン・グレイのイメージを作り上げたのがこちらの絵。今でもロンドンのナショナル・ギャラリーで大人気の絵なのだそうです。

悲劇の最期を伝えているとても有名な絵。実は私は恐ろしくて直視することができません。

「9日間の女王」と呼ばれたわけ

レディ・ジェーン・グレイは、1553年7月のエドワード6世の死後、わずか9日間だけイングランド女王として君臨したという女性。しかし、エドワード6世の異母姉で相続人のカトリック教徒メアリー・テューダーを支持する一派によって退位させられ、反逆罪で裁かれます。わずか17歳だったレディ・ジェーンは、1554年2月12日にロンドン塔で斬首されました。

女王に君臨したとなっていますが、実際には英国王リストには彼女の名前は存在していないのです。

大人の事情で担がれて女王になったのには、彼女の血筋も大きく関係しています。ジェーンはエドワード6世の父でもあるヘンリー8世の妹メアリーの孫娘だったからです。

さらに、エドワード6世はプロテスタント、その次を狙うメアリーはカトリック。そんな宗教的な対立と、君主に取り入り権力を狙う貴族たちの陰謀の渦に巻き込まれたのです。

ヘンリー8世の後継者問題

少し時を戻すと、強大な王ヘンリー8世には、エドワード、メアリー、エリザベスという3人の子供がいました。

ローマ・カトリックから断絶して、イギリス国教会を設立したヘンリー8世亡き後、イングランドではカトリックとプロテスタントの対立が激化します。そんな中王位についたのは、息子のエドワード6世。彼は9才で即位します。


病弱だったエドワード6世を裏で操っていたのは、権力を持つジョン・ダドリー。2人はカトリックの国に戻ることを避けるということで利害が一致します。それは、次の王位につく予定のメアリーはカトリック教徒だったからです。

ダドリーは、次の王位はジェーン・グレイを指名することをエドワードに約束させます。メアリーとエリザベスは「庶子」だから王位にはつけないよと示すわけです。

ちょっとややこしいですが、エドワード、メアリー、エリザベスはみんな母親が違うヘンリー8世の子供。エドワードが王位についているからこそ、メアリーとエリザベスの母は本妻じゃない。よって2人は本妻の子じゃないとというわけです。

では、ジェーン・グレイはどうだったのでしょうか?

彼女は、ヘンリー8世の妹メアリーの孫娘という正式な血筋。ジョン・ダドリーは早くからそんなことを見通して、自分の息子とジェーンを結婚させていました。


抜け目がないですよね・・・

ジェーンの即位と最後

このようにして即位を告げられたジェーンは、翌日ザイオン・ハウスから戴冠式の準備のためロンドン塔へ向かうことになります。

しかしメアリー(ヘンリー8世の子供の)はダドリー軍を破り、メアリー1世として即位します。その後仮の女王であったのジェーンをロンドン塔へ幽閉されます。


翌年、ジェーンは夫であるギルフォード・ダドリーとともに、16歳という若さでロンドン塔で処刑されてしまうのです・・・

ジェーン・グレイとザイオン・ハウス

ザイオン・ハウスの歴史と概要

ザイオン・ハウス(Syon House)はロンドン近郊にある、ノーサンバーランド公爵の邸宅です。このブログでは何度も登場している公爵のお名前ですが、アニック城も公爵所有のカントリーハウスです!

上の写真は、ザイオン・ハウスの正面から見た姿。この一帯は、サイオン・パーク(Syon Park)として一般にも公開されていて、お屋敷はもちろん庭園も見学できます。

この場所がレディ・ジェーン・グレイの最後の数日間と深い関わりがあるのです。

ジェーンとサイオン・ハウス

⁡ジェーンは、1553年にエドワード6世の崩御、そして自分が女王になることを告げられます。これが死に近づく運命の分かれ道になります。

即位の知らせを受けたのがザイオン・ハウスだったのです。サイオン・ハウスの当時の持ち主が、ジェーンの義理の父のノーサンバーランド公爵ジョン・ダドリーだったからです。

公爵に呼び出されたジェーンにとって、半ば強要の即位の話だったのです。

ジェーンの貴重な肖像画も見ることができるようです。

ポール・ドラロッシュの肖像画

ポール・ドラロシュはフランス革命の直後のパリで生まれた、歴史的場面の劇的な再現で人気があった画家です。

この絵のように細部までこだわった描写と、緻密で光沢のある仕上がり。まるで舞台設定のような絵画は、物語をより感動させます。

ドラロシュの演出力の光るところは、ジェーンの姿。純白のペチコート姿に目隠しをされ、導かれて処刑台を手探りするという、憐れみを誘う描写。

でも実際にはこういった記録は残っていないそうです。物語をより感動させるために加えられた演出というわけです。

まとめ

ザイオン・ハウスには一度行ったことがあります。ずいぶんと前の話ですが、つい最近のようによく覚えています。

でもその時はジェーン・グレイとのつながりについては全く知りませんでした。肖像画も飾ってあったのだろうか・・・

次に行くことができたらそのあたりも確認したいなと思っています。


ドラロシュの絵についても、とっても興味深い過去があります。美術館での洪水騒ぎの最中に行方不明となり、長くその所在が不明でした。しかし、何年もの時を経て偶然発見されて今にいたってます。

この数奇な絵の運命についての物語をこちらで詳しく書いています。

行方不明から再発見!ナショナル・ギャラリーの『レディ・ジェーン・グレイの処刑』ー【美術品と来歴を探求するシリーズ】|Yoko
行方不明から再発見!ナショナル・ギャラリーの『レディ・ジェーン・グレイの処刑』ー【美術品と来歴を探求するシリーズ】|Yoko

海外の美術館のサイトを見ると、作品紹介に”来歴”(英語ではProvenance)が書かれています。 来歴とは作品が誕生してから現在に至るまでの旅の軌跡。注文主、オークション、コレクターやギャラリーな ...

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サイオン・ハウスの基本情報

ザイオン・ハウス  Syon House
Syon Park, Brentford TW8 8JF 
公式サイト:https://www.syonpark.co.uk/




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