お屋敷訪問記

ランハイドロック(Lanhydrock)大火災から復活したヴィクトリア朝のカントリー・ハウス訪問記

2024-04-15

ランハイドロック(Lanhydrock)は、イギリスのコーンウォールにあるナショナルトラストが管理しているカントリーハウス。17世紀に建てられた建物は1881年に大火災に遭うという悲劇のあとほぼ再建されて現在にいたってます。

壮大な邸宅の中に保存されたビクトリア朝インテリアが19世紀の上流階級の生活様式をたっぷり見せてくれます。たくさんの豪華な部屋、子供たちのナーサリーエリア、使用人たちの仕事場のサービスエリアなどが、カントリーハウスでの1日が体験できるように見応えたっぷり。

印象的なゲートの建物と、刈り込みが特徴的な庭園も美しく、この風景は一度見たら忘れられません。

こちらは、2023年10月にランハイドロックに行ってきた訪問記です。

訪問記

2023年10月の晴天。プリマスに住む友人とランハイドロック(Lanhaydrock)に行きました。詳しい交通情報は記事の最後でご紹介しますが、電車とタクシーを乗り継いて着きました。

ランハイドロックの入り口を入ると、邸宅まで10分ほど庭園内を歩いて行きます。

美しく手入れされている芝生がどこまでも広がって、樹齢何年だろう?という高い木々の間を通るように道を進んで行きます。

視界の先にゲートタワーと印象的な丸い形をした木が見えてきました!

1651年に建てられたゲートタワーで入場チケットを購入して中に入ります。私はナショナル・トラストの年間パスを見せて入場!グレーの石が美しい建物。いよいよ中に入ります。

17世紀のオーク材でできた豪華なドア。

ランハイドロックの内部はビクトリア朝時代の壮麗な装飾が施されており、特に主要な受付室や食堂は見逃せません。家具一つ一つに至るまで当時の社会的地位や富の象徴としての役割が色濃く反映されています。歴史好きやドラマファンには、ビクトリア朝の生活がどのようなものだったかを垣間見ることができる貴重な機会です。

振り返るとゲートタワーが見えている。どこから見ても眺めが美しいです。

入り口を入るとすぐに広がるのはこちらの広い広間。天井の装飾が美しいです。

その奥には、モザイクのタイルと、ウィリアム・モリスの壁紙が美しいホール。
ここではロンドンで活動する日本人陶芸家の細野仁美さんの作品や、インタビュー動画などが放映されていました。
ランハイドロックの庭園でインスパイアされた作品たち。繊細で美しかったです!

画像は細野さん。

こちらは別の2階の部屋に展示していた細野さんの作品です。

1950年6月11日、コーンウォール地方を訪問中のジョージ6世とエリザベス王妃がこのダイニングルームでランチをされました。この部屋がダイニングルームに生まれ変わったのは1811年の火災あとの修復でのこと。

天井の模様もよく見るとダイニングルームにピッタリの葡萄の模様になっているんです。そしてこちらも壁紙は緑と金の”ひまわり”模様のウィリアム・モリスの壁紙です。

この美しい階段を上がって2階へ行きます。

貴婦人の寝室

窓から見える庭園が一段と美しい!外の景色が美しいだけでなく、窓も美しいのです。
窓の大きさやデザイン、開け閉めの金具など全体で美しさを作り出している。
一つだけが美しくてもダメでバランスと調和が大切だと気付かされます。

この場所は、屋敷内でも一番の見どころなんじゃないでしょうか。
作られてから350年。端から端まで35メートル、横幅も6メートルもある長い廊下のようなギャラリーです。
天井の装飾も圧巻です。

こういったロング・ギャラリーと呼ばれる場所は天気の悪い日に歩き回ったり軽い運動をするエクササイズルームとしての使われ方も。

その後図書館になって、舞踏会の場所としても使われていたのだとか。

サービスエリア

ランハイドロックはサービスエリア(台所や使用人部屋)が非常によく保存されていることで知られています。天井の高い巨大なキッチンだけでなく、各用途に応じた部屋がいくつも並んでいるのが残っていて、こんなに細分化されていたんだ!と驚きます。

こちらはかなり天井が高いキッチン。テーブルなどには食材の見本も並べられていて当時の姿がイメージできます。

道具類もたっぷりと。食器を見ているとここにはどんなお料理が載っていたのだろうと想像が膨らみます。

こちらは、パントリーという食料品室。主に食品や調理用品を保管するための部屋またはスペース。

こちらはパン焼き部屋。大きな窯では焼きたてのパンが作られていたんですね。キッチンとは別に専用の部屋があるなんて贅沢!

ナーサリー

ランハイドロックは部屋数が多くて、部屋を見ているうちに、階段降りたり上がったりするうちに、どこをいま自分が見ているのかわからなくなるほど。

2階にあるナーサリー、という子どもたちの過ごすエリアです。上流階級の子どもたちは通常両親と離れて生活しています。教育係がついて食事の世話から遊び時間、就寝までずっとこちらで過ごすようです。

ここはナニーと呼ばれる育児担当専門のベビーシッターの部屋。専用ルームが与えられていて通常の使用人とはランクも違ったようです。

ナニーの部屋の隣には子どもたちの寝室が。

こちらはもう少し大きなこどもたちの部屋。

教会

敷地内にある小さな教会も見逃せません。15世紀の中頃に建てられたというかなり歴史のある教会です。

よく見ていると正面と左側の窓はステンドグラス、右側の窓は透明なガラス窓だと気がつきました。実は1881年にランハイドロックでは大火事がおこってかなり広範囲に建物が燃えました。

右側は建物に近い部分なので教会も被害にあったのかもしれません。

カフェやショップ

ナショナルトラストの施設ではこのクリームティーセットは必ずあるはず!クロテッド・クリームとジャムが付いたスコーンと紅茶のセット!

スコーンも大きいのですが、たっぷりつけても余るくらいのクリームとジャムが贅沢です。

ちょっと見た目あまり美しくないのですが、食べ比べ!
左はクリームが上
右はジャムが上

でも違いがわからない。口の中に入ったら同じだ・・・

ショップ内も充実。こちらは本のコーナー。ガーデニングに関する本もたくさん。

ウィリアム・モリスのデザインが美しい商品も。

邸宅内をかなり歩き回ったので、庭園に座ってのんびり休憩。広くてふかふかの芝生の上では、ピクニックしている人たちや走り回って遊ぶ子どもたちもたくさん。こんな贅沢な時間を過ごせるなんて。

いかがでしたか?ランドハイドリックの見どころがちょっとは伝わったでしょうか?
ここから歴史や

大火災や政治スキャンダルーランハイドロックの歴史

ここでランハイドロックの歴史をちょっと見てみましょう。戦争、政治スキャンダル、そして家の大部分を破壊した火災など波瀾万丈な歴史があります。

ランハイドロックの17世紀:西部で最も裕福な地主の台頭

修道院の解散後、ランハイドロックは色々な家族の手に渡りました。その後、父からから30万ポンドと40,000エーカーの土地を相続し、「西部で最も裕福な人物」と言われていたリチャード・ロバーツが1621年にこの地を購入しました。

  • ジョン・ロバーツの結婚と家庭生活: リチャードの死後、息子のジョンが遺産を継ぎました。彼は二度結婚し、最初の妻ルーシー・リッチとの結婚は1630年、彼女は非常に信心深い女性とされ、「世に値しない」と評されるほどでした。その後、1647年にはルーシーのいとこであるレティシア・イザベラ・スミスと再婚し、彼女との間に14人の子供をもうけることになります。
  • 内戦と政治キャリア: ジョンはイングランド内戦時、議会派として自らの連隊を率いて戦いました。戦後、王政復古を経て枢密院員に列され、1679年にはラドナー伯に昇格しました。

ランハイドロックの18世紀:放置と衰退の時代

  • 領主の不在と遺産の放置: ジョンの孫、チャールズとその甥ヘンリーは、ランハイドロックを56年間にわたってほとんど顧みることなく放置しました。特にヘンリーはヴェネツィアに移住し、ナポリの舞台から引退した歌手の愛人とともに暮らしていました。
  • ヘンリーの放蕩と財政問題: ヘンリーはランハイドロックへの関心を失い、愛人の支援のために度々資金調達のためにイギリスに戻る生活を送っていました。
  • 取り壊しの脅威: ヘンリーが1741年に亡くなると、ランハイドロックは彼の妹、メアリー・ヴェア・ロバーツに相続されました。彼女は家を取り壊し、内容物を売却することを真剣に検討しましたが、最終的には実行されませんでした。

ランハイドロックの19世紀:改革と再生の時代

  • ジョージ・ハントの近代化努力: 1758年にメアリーの息子、ジョージ・ハントがランハイドロックを継ぎ、東翼を取り壊し、質の高い家具を導入し、内部の改修と外壁の赤色ペイントで近代化を進めました。
  • アンナ・マリアの改善と管理: アンナ・マリア・ハントが1804年にランハイドロックを相続し、家の改善に力を入れ、特に絵画を保護するためのブラインドや湿気対策のストーブの設置に尽力しました。
  • 1881年の大火と再建: トーマス・ジェームズと彼の妻ジュリアナが火事で新しく改装されたサウスウィングとウェストウィングを失い、その後の再建でビクトリア朝の最新の防火システムを導入しました。

1881年にランハイドロックは大規模な火災に見舞われ、建物の多くが損傷しました。その後、ビクトリア朝の建築様式に基づいてほぼ完全に再建され、今日見られる姿になりました。

ランハイドロックの20世紀:政治の渦中と戦争の影響

  • トーマス・チャールズ・レジナルドの政治スキャンダル: トーマス・チャールズ・レジナルド・アガー=ロバーツが1906年の選挙で不正が発覚し、議席を失いますが、再選されます。
  • 第一次世界大戦と家族の衰退: トーマスは1914年に第一次世界大戦に参戦し、1915年のルーズの戦いで戦死しました。この悲劇はロバーツ家に深い打撃を与え、その後の家族は衰退しました。

第二次世界大戦中、地元の民間防衛施設として利用されました。

ナショナルトラストによる管理

1953年にランハイドロックはナショナルトラストによって公開されることになりました。これにより、広大な敷地とともに邸宅が一般の人々に開放され、保存・保護の取り組みが強化されました。

ランハイドロックの重要な人物

ここではランハイドロックの長い歴史の中で重要な人物を2人ご紹介します。

トマス・チャールズ・ロバーツ・アガー=ロバーツ(Thomas Charles Robartes)

最初は、第2代クリフデン子爵のトマス・チャールズ・ロバーツ・アガー=ロバーツ(1844-1930年)(Thomas Charles Robartes, 2nd Viscount Clifden)です。ランハイドロックの運命に大きな影響を与えた人物。

トマス・チャールズの時代にランハイドロックが大火に見舞われました。資金提供により、ランハイドロックは現在見ることができるビクトリア朝様式の豪華なカントリーハウスへと変貌を遂げました。

彼の経済的および文化的な投資により、ランハイドロックは社会的地位を象徴する邸宅としての地位を確立しました。また、広範な庭園の整備や農業技術の導入など、敷地全体の改良にも力を入れ、ランハイドロックをコーンウォール地域の文化的ランドマークとして位置づける基礎を築きました。

トマス・チャールズが行った改革と投資は、ランハイドロックが今日に至るまで観光客を惹きつける重要な要因となっています。彼の時代に確立された豪華な内装や広大な庭園は、訪問者に19世紀の上流社会の生活を色濃く伝えています。

メアリー・アガー(Mary Agar)

トマス・チャールズの妻のメアリー・アガー(1853-1921年)(Mary Agar)

メアリーは、ランハイドロックのインテリアデザインを監督し、その豪華なビクトリア朝の装飾が評価される基盤を作りました。彼女のセンスで選ばれた家具や装飾品は、ランハイドロックが観光地としての魅力を高める要素となっています。また、彼女は地域社会との関わりを深め、ランハイドロックの社会的な中心地としての役割を強化しました。

ランハイドロックへの行き方

今回は電車とタクシーを乗り継いでランハイドロックに向かいました。

電車で降りる駅は「Bodmin Parkway」。赤煉瓦の建物がある小さな駅でした。ホームを繋いでいる橋も素敵でしたよ。

駅を出たらタクシーを呼びます。

地図で見ると、ゆっくりと歩いていくことも楽しめるような距離でしたが、タクシードライバーさんによると結構しんどいそうです。。。近そうに見えても勾配があったり、敷地の入り口までずーと回って行かないといけなかったりとするので、初めてなら尚更タクシーに乗った方が良さそうです。

私むかし友人と出かけた田舎街で、車で10分と書かれていた場所へ歩いたことがあります。なんと2時間近くかかりました(笑)帰りはものすごく飛ばすタクシーに乗ったのですが本当に10分くらいだったの。

駅の外には地図・名所などが書かれたインフォメーションボードが掲示されています。そこでタクシー会社もいくつか書かれていました。もし見つけられなかったら、駅の人に尋ねても大丈夫だと思います。

タクシー会社に電話して予約しましょう!こんな簡単な文章で通じます。

「Hello, I need a taxi from Bodmin Parkway Station to Lanhydrock as soon as possible, please.」

タクシーが到着するとテキストメッセージが届くようなシステムになっているので確認して乗りましょう。

ランハイドロックの基本情報

ランハイドロック Lanhydrock
住所:Bodmin, Cornwall, PL30 4AB
公式サイト: https://www.nationaltrust.org.uk/visit/cornwall/lanhydrock

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