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『ダウントン・アビー』シーズン2の第6話「謎の負傷兵」のあらすじと見どころです。
1918年11月。ようやく終戦への希望が見えてきた頃。
でもダウントン・アビーの中や取り巻く環境はさまざまな問題が登場しては消えていきます。
タイトルにもなっている”謎の負傷兵”とは誰なのか?彼をめぐってのそれぞれの反応が複雑です。
メアリーの新居となる?ダウントンにも似ている吹き抜けの美しい広間を持ったハクスビー・ホールについても気になります。ここはどこで撮影されたのかについてもご紹介しています。ぜひ最後まで読んでくださいね!
シーズン2・第6話「謎の負傷兵」あらすじ
1918年11月。
結婚に向けて動き出したメアリーとカーライル。カーライルは新居としてダウントン・アビーにも近いハクスビー・ホールを購入しようと計画しています。最新式の設備に整え、美術品を購入し、カーソンを引き抜いて、メアリーを喜ばそうと、そして自分も貴族の仲間入りをしようと考えています。
ある日ダウントンに療養に送られてきた顔に大きな傷を負ったカナダ兵。彼は自分のことを6年前のタイタニック沈没で亡くなったと考えられていたパトリック・クローリーだと名乗り出ます。もしそれが本当なら彼が相続人の第一候補。本来ならば喜ばしいところなのに、6年でさまざまなことが変わった今、家族に動揺が走ります。そんな中イーディスだけが彼のことを信じています。
ヒューズ夫人は困窮している元メイドのエセルに食料を渡しているところをカーソンに見つけられ報告します。そのことを聞いたコーラは伯爵にエセルの子供の父親のブライアント少佐に手紙を書いてもらう。しかし少佐はすでに戦死していることがわかります。
ベイツは妻のヴェラとの離婚手続きを進めていたところ事態は悪い方向へ。ロンドンに出かけ帰ってきた時には顔に傷を作っている。そしてヴェラの遺体が見つかるという電報が届くのです。
デイジーはウィリアムを騙していた、嘘をついていたと後悔して寡婦年金を受け取りがりません。それを心配している同じ立場のメイドのジェーン。
「長い戦争が終わっただけでなく、新時代が始まった瞬間だ」というロバートの言葉で、11月11日午前11時、ダウントン・アビーでも戦争の終わりをみんなで噛み締めます。
みどころ
P.ゴードンとは誰だったの?
謎の負傷兵としてダウントン・アビーにやってきたパトリック・ゴードン。彼は結局誰だったの?
ロバートの依頼でマレー弁護士が調査した結果は・・・
1912年4月のタイタニック沈没後、5等航海士のロウに救出された身元不明者がいた。その人物はカルパチア号に辿り着く前に亡くなったとも、ニューヨークまで無事に辿り着いたのを目撃したという証言もある。
パトリック・クローリーの同僚にピーター・ゴードンという人物が。彼は1913年にモントリオールに移住している。
ここで、家族は今ダウントンにいる人物は、どのピータ・ゴードンで、パトリックとして偽っているのではないかと疑います。
でも本人の証言は・・・
ロウに救出されて記憶喪失だったためカナダ人としてモントリオールへ。酒瓶から名前をとってゴードンに。1914年歩兵連隊に入って、爆撃を受けた衝撃で記憶が戻った。そしてダウントンが療養施設となっていると知りやってきた。
確かにあっているところも。でもロバートが彼の仕草を不審に見ているところや、結局最後イーディスに宛てた手紙の名前はP.ゴードン。パトリックだともピーターだともわからない。彼は本当にパトリックなの?それともピーターでなりすましたのか?
イーディスはパトリックを愛していたということだから彼のそばにいる間に本人で間違いないと感じてましたよね。イーディスの反応とその他の家族の発言や態度を見ているとあまりに違って驚きます。自分の身元を証明できるものがないって恐ろしいなと思わされます。
ベイツの言葉
この回で語られるベイツの妻ヴェラに対する言葉や、そして取り巻く状況をよく覚えておいてください。これがのちに大きなことになってくるのです!!
第9話でベイツはヴェラの殺人罪で裁判にかけられます。この時にこの第6話での言葉やエピソードがなんとも皮肉な形で証言として残ってしまうのです・・・
ヴェラとの離婚仮判決が取り消され、ロンドンに行くという報告をロバートにした時のベイツのこの言葉。
「”元妻”より”亡妻”であればいいのにと思います」
そして、顔に傷をつけて夜ロンドンから戻ってくる時を使用人が目撃していて、「最悪の事態だよ」と心配するアンナに伝えます。
ああ・・・ドラマがとても上手く考えられて作られていることがわかるのですが、なんとも悲しい瞬間に繋がることがわかって見ると、ベイツさん言わないで!!と思ってしまいます。
ハクスビー・ホール Haxby Park
カーライルがメアリーとの結婚生活を過ごす場所として購入しようとしていたのが、ラッセル家の邸宅だったというハクスビー(Haxby)。
ラッセル家とクローリ家は代々関係があり、メアリーたちも子供時代から何度も遊びに行っていたという場所だったようです。
ハクスビーは、外観とインテリアは別の邸宅で撮影されているようです。
外観は ワデスドン・マナー Waddesdon Manor
インテリアは ハルトン・ホール Halton Hall
どちらもバッキンガムシャーにあるロスチャイルド家の邸宅です。
ハルトン・ハウスは一般に公開されていないようなので、内部の写真があまり出ていないようですが、ハイクレア城と同じように天井吹向けのホールを取り囲むように2階の廊下がある空間があります。ここがとても美しい!!
ハルトン・ハウスは、イングランド、バッキンガムシャー州のハルトン村近くのチルターンヒルズ内に位置する豪華なカントリーハウスです。1880年から1883年にかけて建設され、アルフレッド・フライヘル・デ・ロスチャイルドの私邸として使われました。この邸宅は現在、イギリス空軍(RAF)のハルトン基地に所属する士官のためのメス(社交・食堂施設)として活用されており、イングランドの国家遺産リストで保護されている歴史的建造物です。
ハルトン地域にはノルマン征服時代からマナーハウスが存在し、長い間様々な所有者の手に渡りました。特に1720年にダッシュウッド家が購入してからは、約150年間この家族によって管理され、1853年にバロン・ライオネル・デ・ロスチャイルド(1808-1879)が購入しました。
新しいハルトン・ハウスの建築はウィリアム・R・ロドリゲスによって手掛けられ、わずか3年で完成しました。その派手で独特なデザインは「フランスのシャトーと賭博場の組み合わせ」と評され、一部からは批判的な声も上がったとか。でもその豪華さと独特のスタイルは、今日に至るまで多くの人々を魅了し続けています。
ロスチェイルド家にはたくさんの邸宅があって、公式のホームページにもハルトン・ハウスの説明もあります。
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Halton, Buckinghamshire, England | Rothschild Family
family.rothschildarchive.org
私が学んでいた大学はこの近くバッキンガムシャーにあり、ワデスドン・マナーには授業で何度かおとづれたことがあります。でもハルトン・ホールの存在は知りませんでした。この美しいホールをぜひこの目で見たいものですが、一般公開などしてないのでしょうか・・・
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